ラッキーなことに私には最初の教育係にして消防士としてのロールモデルになった素晴らしい先輩がいました。
消防士の中の消防士、って感じで。
でもめちゃくちゃ厳しかったです。これよりA先輩としておきましょww
そんなA先輩としてきた様々な訓練思い出しシリーズを始めようかなと思います。現役消防士の方々も参考になるやもしれません。
今回は、消防学校を卒業してわずか2当務目にした訓練です(ここ、忘れないでくださいね)。
訓練内容:
交通量はたいして多くない道路での車の単独事故。電柱に車が衝突したが、運転手が車から出てこないという目撃者からの通報。という内容でした。
消防隊1隊と救急隊1隊で出動し、私は救急隊の唯一の救命士(私は救急救命士の資格を持って入庁しています)&隊長として出動せよと。
隊長・・・2当務目にして・・・?と思いましたが、後々の私の消防人生において、この訓練の本当の意味をかみしめることになったわけですが、まぁその話はまた後述します。
訓練開始後、私はすかさず、ドアを開けて傷病者に接触しました。運転席側のドアに「潰れてて開放不能」とあったので、助手席のドアを開けて観察を始めました。初期評価は意識なし・呼吸あり(弱い)・脈あり(弱い)・皮膚が冷たく汗で湿っている、のでショック状態と判断しました。酸素投与を行い、すぐに外の消防隊と救出方法を相談しました。話し合って、助言をもらった結果、バックボードを使用してバックドアから救出しようということになりました。消防隊と協力しバックボードに乗せて、なんとか車外へ救出し、A先輩から訓練終了の合図が出て終わりました。
私は訓練日誌を独自につけていたので、上記内容が本当に当時私が行った訓練なんですが、有識者の方が読んだら、「あれ、アレやった?」「足りなくない?」と思うはずです。1年目で、救命士だからと言ってまだ2当務目の新人という言い訳もまだ使えるくらいペーペーですが、本当に反省すべき点がたくさんある訓練でした。
以下が失敗の内容でした。
まず、「安全確保」ですね。まだ経験が浅い(無い)消防士で、交通事故の訓練をするとなると、必ずする失敗として「安全確保」がありますよね。私もそうでした。電柱にぶつかった車が炎上しないことをまず確認もせず、傷病者に接触したことです。車のエンジンも切りませんでした。安全確保後、活動中に車が転がっていかないよう車輪止めをしたり、サイドブレーキを引きませんでした。
傷病者に接触時、意識レベルはどうあれ、まず頸椎保護もしませんでした。
初期評価して、酸素投与を行ったのはいいが、最終的な意識レベルの確認と全身観察を行いませんでした。骨盤骨折があったなら、私たちが選択した救出方法ではいけないということになります。
訓練のフィードバック後、まったく同じ想定でその後もう一度訓練をして、成功体験で必ず終わらすのが先輩のやり方でした。
この時の訓練日誌を見返したとき、なんて未熟なんだろうと思ったのと同時に、もしこれが訓練じゃなくて、今入ってきたばかりの救命士と消防隊とが一緒にこのような現場に出動した際、きっと同じことが起きると思いました。
地方では救急救命士の数がまだ少ないのと、実は救急現場を苦手とするベテランの消防隊が多いのが現状なのです。どんどんそういう方は少なくなってきてい(と信じたい)ますが、いくら若くても、救命士に現場を任せがちな隊長クラスの隊員って実は多いんです。救急件数は昔に比べ年々増加の一途をたどっているのにも関わらず、自分は救急隊じゃないから、救命士じゃないからと、若い救命士の隊員に託すんです(決して悪口ではありません、本当に。消防士の仕事の幅が昔に比べると急速に変わってきてることによる現象だということは理解しております)。
私はそういう状況に「ああそう、じゃあやってやるよ」と燃えるタイプの人間だったので何とも思いませんでしたが、後輩の救命士ができてから、このことに強いストレスやプレッシャーに苦しんでいることを知りました。ダメな先輩でしたよね。
後輩救命士のそういうことを知って、その後この時の訓練のことを思い出したとき、「あっ」って思いました。
あのときA先輩は、私がこれから経験することになることをすぐに理解させるために、訓練で実践してくれたんだなと(気づくの遅い)。
あの訓練後私は、失敗が悔しすぎて、ペーペーだったにも関わらず、実際の現場では救急隊長の一挙手一投足にくぎ付けになりました。この上司ならどうするか?経験積んだ救命士はどんな動きをするのかということに。そうすると、自然に、救命士にすべてを任せる消防隊員と組んだ時も戸惑うことなく活動できていましたね。
良い先輩を持ちました、本当に。その先輩も後に、ELSTA(事前に学校に通い資格を取得する救命士と、消防士になってから取得する制度がありますが、ELSTAは後者です)へ入校し、救急救命士になりましたが、最初から最後までロールモデルとなってくれた先輩に感謝ですね。
では今回はここまで。また。